*** 内村一郎・優子夫妻は仮名です ***
◆プロローグ
優子は2024年秋口に腰が痛いと言っていた。一郎はギックリ腰だから湿布と整形外科に診てもらったらと話していた。
12月10日に A整形でレントゲンをとると15年前の写真と殆ど変化なしとのことであった。 前後は近くの指圧に数回通った。
今からすると既にこのあたりで癌の転移が腰骨に始まっていたのでは???
・12月27日~1月5日大阪・池田市娘の家
年末を大阪・池田に住む子供夫婦と過ごす予定で
12月27日新幹線で大阪着、大阪駅から阪急宝塚線に行く途中、優子が転倒し右肩脱臼。痛いのを我慢し電車で池田へ 池田市民病院で急遽診てもらい処置と痛み止めをし、娘の家へ。 1月3日近くの呉服神社、4日は美濃の大滝へ観光する
5日JAL-112で伊丹から横浜へ帰る。
・ 1月5日~横浜の自宅。コンサートや、あるいは1月27日母親の7周忌で福岡へ帰るなど、痛みはあったようだが、普通の生活。 1月6,14,28日と3回A整形にかかる。右肩脱臼でのリハビリなど
3月7日再度A整形医院で骨密度測定もかねてレントゲンを撮り、ここで背骨に圧迫骨折があることがわかりロキソニンと簡易コルセット。癌の転移の可能性などいわれなかった。
・ 3月10日1年前に手術した白内障の経過診察でSD病院にいき、眼科先生に腰痛みの話から直ちにその病院でMRI診断を進められ、その結果、癌の転移による圧迫骨折とわかる。
痛みもそれほどでなかったので、予定していた大阪・池田の娘のお産の手伝いに行くことを決意。
SD医院から池田市民病院整形へはデーター紹介を依頼した。
◆闘病生活―1 3月15日~4月9日 大阪
・3月15日JALで大阪のウイクリー・マンションへ。 16,17日近所の梅林など観光
18日には痛みがだんだんひどくなり、ロキソニンは2時間に1回飲むほどに痛みが増加。
・ 20日未明 右腰大腿部付近の激痛となり救急車で池田市民病院へ。ロキソニンからトラムSETに代わり少しは痛みがおさまる
21日の予約日に池田市民病院整形を訪問し、癌性骨折とのことより整形から総合内科へ移り、またコルセットの採寸、装着。毎日 癌の発生場所検査。胃、大腸、子宮、乳房、甲状腺、血液、エコー検査、
骨折場所の1泊2日の生検手術入院も実施。 結果は原発不明癌との診断が下る。3月26日に友人のDr.IH医師に経緯をTELする。
一郎の反省;毎日痛い思いをさせてタクシーで通院させたが検査入院をさせるべきだった。 ・ウイクリー・マンションは1Kで優子はベッドに、私は床に布団を敷いて。
また優子はほとんど寝たきりで3食を食べさせ、食事は私が作り食べさせるも起きると痛みが出て、一口食べるとすぐに横に寝るありさまでした。シャワーはパンツの取り換え、体をこする、拭くなど赤ん坊になった。洗濯、買い物など休まる暇もない毎日でした。
・ 3月15日から帰る4月9日までは優子につらい目に合わせた。 孫がいつ生まれるかと痛みの我慢比べをし
4月6日に待望の男子が生まれた。
産院で孫を抱くことができ
9日JALで何とか横浜へ帰る。
羽田からは介護タクシーで完全FLATの車いす利用。
・ 前後して友人Dr.IH医師に有明癌センター、神奈川癌センターなどの入院先相談。結果的に家から近い神奈川癌センターに決め dataを池田市民病院から送付願った。 又息子には2階のベッドを1階に降ろすよう依頼
◆闘病生活―2 4月11日~
ここから横浜での闘病生活が始まる
4月11日 神奈川癌センターへ今後の入院などで訪問。血液腫瘍内科、緩和ケアー内科、放射線科などの先生と面談。池田病院からのdataで、内容は分かっており、すぐにでも放射線照射を勧められ、
15日からの入院となる。
往復とも介護タクシーで完全flatの車いす 以後移動はすべて介護タクシー。
家では介護保険の申請など、包括ケケアセンターで手続を済ませる。1ケ月後、要介護4となる。時間がかかるので早めに手続が必要。
・ 14日16時頃 家で転倒、腰と頭を打つ。いろんな病院に診てもらえないかTELするも断られる 落ち着いてきたので明日の癌センター入院まで待機 。
・15日入院 4人部屋になり、すぐに第1回の放射線照射が始まる。全部で5回実施。
鎮痛剤もオキノームの医療麻薬となる 更にはオキシコドンと一段強いものとなる。
・ 21日退院前日Dr.より話があり肝臓と肺にすでに転移がみられるが、原発は不明。
・ 22日退院し 自宅へ 。介護認定はまだだが見なし認定ということで介護ベッドなど搬入手続をすすめる。
それまでは1階のベッドで、夜は手をつないで今後のこと、昔のことなど話ながら眠る。
過呼吸?によるパニックが起こり背中をさするなど・・・・
・ 5月1日 区役所より介護の調査員がくる
7日 包括介護センターとケアマネージャー認定などの話、契約をすすめる。
かねて予約していたNB病院での膠原病の一種強皮病の診察と、唾液が出ないなどの診察を受ける。昨年8月ころから唾液が少なく話しづらい現象があり、シェーグレン症候群ではないかとしたが 以前の血液検査ではそんなことは無いと言っていた。
その後の癌センターでの結果はシェーグレン症候群のようであった。特に3月の池田市在中では唾液が出ないため30分ごとに水を飲む有様でした
・8日未明 痛みとパニックが起こり
9日急遽癌センターへ入院で、救急個室となる。
以後退院までは痛みと医療麻薬とのバランスを見ながらのいわゆる緩和療法。
・ 9日Dr.より今後の治療方針説明あり。即ち痛み止めの医療麻薬のことの調整でQOL(QUOLITY OF LIFE)を改善する方針の説明あり。
抗がん剤、免疫療法はしない
医療麻薬のオキシコドンは5mgから10mgと倍量
10日救急個室から個室病棟へ移る。
・ 11,12日は割に落ち着いていた この日以降 私は万が一の事を考えいくつかのホスピスを調査、訪問を始めた。友人Dr.IHからのも紹介あり。
・ 12日 娘来る
13日 早朝1時頃パニック症状となり以後1時間ごとに起きる。優子より脳活の本、刺繍、折り紙set、食べ物などの依頼あり。
優子の終活を考え預金口座、証券株口座の1本化へ着手。
娘来る。
・ 14日 娘来る ダスキン(介護用品レンタル会社)へ電動ベッド依頼。19日自宅搬入予定
・17日 痛みと医療麻薬のバランスはつかめたこともあり在宅での緩和療法へ切り替えのため、退院。
◆以降、在宅緩和療法
・5月18日以降 在宅緩和療法。癌センターより訪問医師、訪問介護などの紹介あり、在宅医療センター(みらい在宅クリニック24時間OK)、おはな介護リハビリテーションと連絡を取りながら訪問曜日などを決める
ケアマネージャー、医療センター、介護リハビリ、訪問薬局等との契約書にサイン
原則 訪問Dr、訪問介護(主にシャワー入浴手伝い)は週一で24時間体制、訪問リハビリ(マツサージ)は週2回
・23日みらい在宅クリニックよりDr.Y医師が来宅 治療方針の説明。優子は歯磨き時かなりに出血、右わき腹の痛み訴え
医療麻薬、胃腸薬、便秘薬、吐き気止め薬、安定剤、睡眠薬などの飲み薬の調整。更には緊急の備え置き薬として浣腸薬など4種類の薬
・24日Kさんお見舞いで来宅
20時頃優子息苦しくなりクリニックへTEL、Y医師来宅。
優子「以降眠れず、夜が来るのが怖くなる。 1~2時間ごとにトイレに行くので隣で寝ている一郎もその都度目が覚める。夜と昼の睡眠パタンが変わった?」
優子 頻尿は膀胱炎の気配あり
・25日 娘夫婦、息子来宅 。一緒にパエリアを食す
・25日 娘夫婦、息子来宅 。一緒にパエリアを食す
・26日 介護タクシーでSD病院眼科、整形外科レントゲンを撮る。あまり骨折部は広がっている様子はないとの事だが? 優子の痛みは継続
・ 27日 九州よりSさん、Mさんお見舞いで来宅。
この時は2時間ほど椅子に座ることができた ・28日 ダスキンへトイレ、廊下、浴室などに手摺設置依頼
・29日 Dr.より万一に備え酸素発生装置の指示あり
・ 30日 介護タクシーで癌センターでの血液検査
・ 31日 孫の誕生日なのに祝ってやれず
・ 6月1日 娘と家の周りを少し歩く
Iちゃんの「お通や」で落合葬儀場へ。夕方Kさん風呂で倒れ緊急手術の連絡あり。最悪の一日。
・ 6月2日 自宅車の助手席に何とか座れた
医療保険3割は理解するも、要介護4且つ負担割合が1割なのに介護保険3割は理解できず,とケアマネージャーに調整依頼 結果、1割負担となる
・3日 吐き気があり胸が苦しいと訴える Dr来宅
・ 4日 眼鏡を新調のため介護タクシーで京急デパートトに行く
夕方悪心を訴えDr来宅
・ 5日 Dr来宅 飲み薬の調整 このころは毎日Dr来宅
・ 6日以降 だんだんと食欲が減ってきている
・ 11日 家の周り少し歩く
・13日 「そば鎌倉」へ介護タクシーでいく。少しだけ食べる
・15日 息子来宅 借りた車椅子で家の周りをまわる
・ 16日 悪心、吐き気があり食欲なし
・17日 娘の絵展示会場の聖路加病院へ訪問予定だが、 悪心のためキャンセル
頭がボーとし焦点が定まらず、数行のメールを書くのに30分要す、歩き方はパーキンソン病のような極端なすり足、足が前に出ない
・18日 何とか聖路加病院に介護タクシーで行くことができ優子が喜んでくれた
終了後レストランで、あんみつを、食べる
・ 19日以降 悪心と食欲なしが続く 夜も眠れず
・ 25日 息子来宅 朝、夕方少し外を歩く
・ 26日AM3時頃自力でトイレに行く途中廊下で倒れ、ひざをすりむく。だんだんと足取りがおかしくなる
27日予約していた訪問理髪さんが来宅、髪を切り少しは快適?
癌センターの担当医師へオプジーボなどの免疫療法をしてもらえないか電話
回答;センターとしては本人、家族からの依頼があっても断る
理由としては副作用の併発により死期を早めるようなことは出来ない。万が一の望みはわかるが当センターに来た時からどんな手段でも治ることは難しいとの判断であつた。放射線照射が必要な時はいつでも連絡してくれ
・ 28~29日 薬のせいか妄想があり、現実と区別がつかなくなる
足の浮腫みがひどくなり、歩きはボトボト、腰の痛み
・ 29日7時半頃トイレに行く途中転倒
・ 30日トイレには自力で行くことは転倒の危険ありポータブルトイレを介護ベッド脇に設置
同時にパンツからおむつへ変更 おむつ、消臭剤など手分けして準備
トイレ、おむつの履き替えなど手助けが必要 子供達も手伝てくれる
・ 7月1日~2日 食欲がなく食べやすいようにムース食をTRYするも受け付けず
妄想が毎日のごとくあり
例えば KKK団で200人殺した、一郎を後ろから打つ、ベートーベンの曲は優子が作ったなどなど 昔の映画 ニュースが混じりあう。
6月末から食事は殆ど受け付けず、食べてもすぐに気分が悪くなり、夜眠れず・・・薬で抑えるなど悪循環となる 氷菓子ガリガリ君を頻繁に食べる
体重は10KG強減少。いっぽう腰の痛みは少し和らぎ医療麻薬の量を減らす。
あまり腰の痛みを言わなくなる。
皮肉にも今頃放射線照射の効果がでてきたのか
優子にはホスピスの話を持ち出すも 家にいたい・・・
・ 3日 子供達3人がかりで車いすにのせ外に出る
これが最後の外に出ることになった
夜 外で子供たちが花火をして優子を楽しませる
6月初旬頃から一郎寝つきが悪くなり、安定剤と睡眠薬服用 。体重もどんどん減り65kgが58kgに減り胃痛、軟便下痢も起こる。限界を感じるようになる。
買い物,洗濯、掃除、料理、介護、交渉事、などなど食べる暇もない日々でした。
ホスピスからの連絡;以前から空きがあれば連絡を依頼していたホスピスの一つから7月9日には空きが出ると連絡がある。すぐに入室する旨の連絡する
・ 5日10時頃 ベッドから降りる際転倒、Nさんに助けを頼む。大阪より娘一郎婦が来る 弟家族見舞いに来る
6日私の様子を心配し、息子が家に一泊してくれる
Drが私の状況をみてレスパイト入院を勧め。手配を地域包括ケアー病院へしてくれ、病院側からもOKの返事あり。
*レスパイト入院;介護家族の負担が多く、これ以上は無理となった場合 、介護家族を守るためにホスピスに入れるまでの間、一時的に入院させるシステム。 私感;これ以上私の負担が続くと、精神的、肉体的完全にばてたであろう。こちらが先に他界するような恐れがあつた
・ 7日介護タクシーで地域包括ケアー病院へ入院
この頃から足の浮腫みがひどくなり体液が脛からにじみ出る
8日弟が九州から見舞いに来てくれた
◆ホスピスでの日々
・7月 9日KDホスピスへ移動 。入室に必要なものを子供たちが手配(冷蔵庫,TVなどなど)
Drと今後の方針説明 食欲改善のためステロイド使用との事
・ 10日 ベッドのまま特殊入浴 優子半年ぶりに浴槽につかる。それまではシャワー
だんだんと浮腫みがひどくなり大腿部、腰部と広がる また体液の滲みも広がる。Drより利尿剤を。ただ癌がリンパ節に広がりリンパの戻りを阻害している可能性もあるので利尿剤の効果は?
夜中 LINEでうどんが出来たので早く食べに来なさいと妄想が起こる
・ 20日夜のみ、おしめ
・ 21日には導尿が始まる
ホスピスへ入室後多くの方のお見舞いをいただいた
・ 22日 葬儀の件でメモリアルホールに見積もり依頼
・ 23日 散髪 すっきりした髪型となった
・ 24日 娘が大阪から日帰りで来る。最後の面会となる
・ 25日 夕食を一緒に食べる 優子が好きな鯛の刺身を食べさせる。おいしいと言って喜んでくれた 最後の食事となる。いつもとあまり変わらない様子なので20時には一郎家に戻る。
明日朝来るよと挨拶して 最後の言葉となった
7月26日の亡くなる日
・ 26日 9時頃来ると看護師から血圧が70台、意識がない、呼吸も顎呼吸 。あまり先がないと伝えられる。
子供に電話しお母さんが危篤 すぐ来るように連絡する
・ 10時頃から優子の手を握り話しかける。何かわかったように手を握り返す? 娘が間に合い二人して優子に話しかける。
・ 13時過ぎには息がまどうくなり心臓の鼓動も小さくなる
・ 13時40分頃に眠るがごとく亡くなる 苦しみもないきれいなお顔であった「 お母さん長い間ありがとう」。 Drによる検視、 直ちに遺体を自宅に引き取り 。帰りたかった家に安置する ・27日まで安置、28日には葬儀社の霊安室へ移し
・ 30日通夜、31日葬儀、火葬
◆私の反省点
・ 闘病生活―1
・ぎつくり腰と軽く考えず 総合病院でMRAなどでの検査が必要。違った対応があつたかも
・池田市立病院へのタクシー通院は痛かったと思う。介護タクシー利用を考えるべきだった
・検査入院を頼むべきだった
健康な状態での入室を考えたウイクリー・マンションであつた為、病人対象でなく設備良くなく、もう少し良いところに代わるべきだった
・ 闘病生活―2
・癌センターは癌のみしか相手にせず、優子のシェーグレン症候群については他の病院に診てもらえ・・・総合病院なら対応科があるので診てもらえる? 病院選択に問題なかったか?癌、即、癌センターは一考すべき
・在宅介護は介護家族が多くいれば出来るかと思うが、子供が手伝うとしても、優子と二人では長期の介護は限界
癌センター退院時に言われた在宅での緩和、またはホスピスでの緩和、どちらを選ぶかと言われた時、 躊躇なく在宅を選んだが本当に良かったのだろうか。
優子の気持ちを考えるとホスピスに行きたくないのは判るが、もし私が倒れたらどうなるかを考えると恐ろしい。
・ホスピスはお金もかかるが 食事 トイレなどは専門職なので任せられる。長期に在宅でいると別れづらく 結局 共倒れになる可能性が大。治る病気なら希望も持てるが 不治の病なら心を鬼にしてホスピスを選択すべき・・・本当にそうやれるかは? 私には出来ないが。
・ホスピスは現在空きが少なく 7人待ちとか、2ケ月待ちとか 。幾つかのホスピスとあたりをつけておくことが必要。躊躇なく入所を 決るべき タイミングを失すると共倒れの危険あり。
・介護保険申請には時間がかかる 最低1ケ月以上
諦めるのでなく みなしで強引でも進めるべき
ケアマネージャーに能力が無ければどんどん改善、あるいは交代を言うべき
・ポータブルトイレ設置は躊躇するが 実際には患者も楽、おしめも快適?消臭剤も良く効くので臭いは殆どしない 子供達も嫌がらず協力してくれた。
・癌は全てかもしれないが、なかでも腰骨に転移した癌は大変 患者は殆ど寝たきり。介護する方も大変 長期には真綿で首を絞めるように全てを破壊してくる。
・終活は、最後の事を考えて早めに。例えば 銀行口座、証券口座、クレカ支払、葬儀社 仏壇、お墓など
一本化しておくことが重要 電話の応対ができる元気があるうちに
・あとの私の生活はどうするかは、先ずは3食しつかり食べ 心と体力を元に戻す事から始めます。安否確認の為、監視カメラで子供たちが守ってくれています。
備考 妄想が起きるのは薬の性もあるかもしれないが、 肝臓、腎臓などでの解毒が悪くなり 毒素が脳に行き妄想を引き起こす?とも言われている 末期が近い事の前兆?
以上
2025.7.26亡くなる10日前。 夫妻と大学友人Dr.IHとの情報交換記録です
**夫妻との電話メールの情報交換**記 Dr. IH
「ごぶさたしています。ご相談したいことがありまして、お電話したいのですが、何時ごろがいいでしょうか? 」とメールをいただいたのは、今年3月26日(水) でした。 電話の内容は、「娘が出産するので、その手伝いに一郎婦で大阪池田市に来て、ウイクリー・マンションを借りて滞在している。腰が痛むので病院で診て貰ったら圧迫骨折で、その原因ががんの転移らしい」ということでした。
内容に驚きましたが、「がんの転移であれば(腰痛で移動が困難になる可能性があるので)、受診した病院に紹介状を書いて貰って、できるだけ早く横浜に戻って治療を受け、療養されたがよい」旨伝えました。
・ 2025/3/31 (月) 18:41優子さんのメール
まだ池田にいます。娘もまだ出産にいたりません。 (そろそろですが) 。乳腺外科、胃、大腸内視鏡は検査しましたが、これは大丈夫なようです。子宮のMRI.甲状腺のエコーをみましたが、結果は明後日に。明日は椎体L1の生検のため、入院します(1泊) 。原発はまだ不明ですが、こちらにいる1週間の間にできるだけ検査して、横浜に戻ろうかと思っています。
神奈川のがんセンターか(こちらの方が近いです)、築地の中央がんセンターに紹介状を書いてもらうつもりです。どちらにかかったほうがいいですか? 今日は骨折をカバーするためのコルセットが出来上がってつけ始めました。
・ 3/31 (月) 20:07 自分
現在のところは原発不明がん。 近くの方がよいと判断し、Webで情報を検索し、神奈川県立センターをお勧めしました
・ 4/2(水) 19:56 優子さん
昨日、背骨のL1の生検をしました。結果は、1〜2週間かかるそうです。胃カメラ、大腸、子宮、卵巣、乳腺外科 、甲状腺は問題ないということでした。神奈川県がんセンターに、データ付き紹介状を書いてもらいました。 9日に池田市民病院の、説明を受け、10日に横浜にもどり、11日にがんセンターに予約しました。 末娘の出産はまだですが、私のほうの診察、治療を考えて、帰ることにしました。
・ 4/13(日)一郎さんメール 昨年秋口から腰が痛く、本人はぎつくり腰と思いマッサージに通っていましたが一向に良くならず、3月中旬に整形外科でMRI、レントゲンを撮ると、椎体L1が圧迫骨折、しかも右pedicle(椎弓根)不整とのことでした
その後、娘のお産の関係で3月15日から4月10日まで大阪池田市在となりましたが、その間痛みもひどく、池田市民病院で痛み止め、癌原発巣を探す検査(血液、尿検査、甲状腺、乳腺、子宮、造影剤CT、胃及び腸の内視鏡検査、L1部の生検(現在検査中)をやりましたが、はっきりした場所が分からず原発不明癌との診断です。
3月15日から17日までは少しの痛みはありましたが、6千歩程度は歩けていましたが、18日より痛みが酷く歩けず寝付きました。それまでの薬はロキソニンでしたが酷い時には2時間間隔になりました。20日には救急車で池田病院に行きトアラセット配合錠追加。
・ 4/19(土) 17:33 優子さん
原発はまだわからないそうです。 生検の結果がまだ、でてないそうです。放射線は4回目が終わりあと1回です。痛みはかわらず、効果がでているようには感じません。1,2週間〜1ヶ月しないと、と言われました。 痛み止めはトラムセットはやめてオキシコドン2回に。習慣性はないといわれましたが。オキシノームはよく効くようなので、痛いときに出すと言われました。仰向きにしか痛みがとれないので、ずーと、寝ています。困ったことです。
・ 4/23(水) 16:01 優子さん
<Re: 放射線照射が終わりました。>
昨日、自宅に戻って来ています。 生検の結果が池田市民病院から来てなく、がんセンターからも取り寄せて(18日金曜日)調べているがまだ結果が出てないということです。 5月8日に診察予約ですが、それまでは痛み止め(オキシコドン5mg×2,カロナール、プレガバリン、オキノーム)安定剤(ロゼラム)、過呼吸(ワイパックス)で対応するしかなさそうです。放射線では1、2 週間〜1ヶ月位しないと軽減しないとか。 ちょっとがっかりですが、期待して待ちます。 肺と肝臓に、ポツポツとあるそうです。 まだ、原発は不明の状況です。
・ 5/4(日)19:01 優子さん
がんセンターからの連絡がこないので、まだ、生検の結果が出てないのでしょうか。 次の診察が5月9日になっていますので、待っている状態です。
すこし放射線照射の効果か?、痛み止めの使い方も、できるようになってきたのか、30分ほどすわってごはんをたべたり、物をかいたりしています。
時々イライラして、一郎を困らせています。7日に南部病院に喉の渇きなどをみてもらってきます。 夜時々、過呼吸になったりするので、ロゼレム(8mg).ワイパックス(0.5mg)を飲んでいます。 精神的にイラついて来て落着ききません。連休あけまでしかたがないですね。 こんな状態です。
・ 5/10(土)12:08 一郎さん
<中村優子の今後のcare方針> 包括センター主任ケアマネージャー,SOMPOケアー
5月8日16時頃急な痛みと(今までにない腹部の痛みも伴う)、パニックがおこり 急遽ガンセンターへ入院した。もともと9日が診察日で予約していたが。
5月9日16時より神奈川県がんセンター 血液腫瘍内科医、看護師1 名と今後の治療方針について説明があった 。
医師からの説明;
1)大阪市民池田病院で腰椎L1部を生検した組織検査の結果、「癌」であることは確認できたがどこを原発としているかは確かではない 。甲状腺、乳房、子宮、胃、大腸等MRI、エコー、造影剤いりCT等で検査しているが特定はできていない。すべてのdataは引継ぎできている。
更に調べるには 例えばPET-CT、がん遺伝子パネル等が考えられるが 調べても意味があるとは思えない
L1骨転移以外に 肺にも点々と、肝臓にははっきりと転移が有る 。したがって 名前としては原発不明癌となる
2)今後の治療方針についての説明
昨夕(8日)で治療方針の検討会をおこなった。今後は抗がん剤投与、オプジーボなどの免疫療法はやらず鎮痛剤投与を積極的におこないQOL改善を中心におこなう 。免疫療法含めての抗ガン剤投与は、経験、他例から、現状の体力を考えるとむしろ寿命を縮める恐れが大。免疫療法もそれなりにショック死などのリスクを伴う。4月15日から5回おこなったL1部への放射線照射の効果を見ることで、鎮痛剤投与が現状のままとなっていたが、今日から鎮痛剤を増やしていく。4月18日よりオキノームからオキシコドン5mgを2回/日だったが、今日からオキシコドン10mgを2回/日とし、痛みの状況を見ていく
過呼吸(パニック)症状は安定剤(現在はワイパックス0.5)頓服として服用、症状をみながら変更もありえる。鎮痛剤服用の様子を見ながら退院の時期を決める。
緩和センターで精神的ケアー等聞きたいので緩和センターにお願いしたい
3)更なる今後の見据え
在宅治療希望であれば、訪問医療者(医療保険使用)を入れ、定期、不定期に体調と鎮痛剤の状況をモニターし通院含めてガンセンターとの連携(訪問歯科は確保している)。最終的には家族の疲労等を考えればホスピスに入院していくことになるのでは
4)介護保険の件
現在申請中だが介護保険で主治医の許可がいるのに、訪問看護、訪問リハビリがあるがDr.の了解を頂いた。
又、訪問医療者紹介は直接にはできないが 相談窓口での要相談、さっき台診療所先生にも相談してみる。
5)シェーグレン症候群の件
昨年夏以降 口の渇きが酷いとの状態があり、ガンセンターで調べてみた。今年5月4日南部病院で見てもらったが 2017年dataしかなく人口唾液スプレイで様子を見ることとなった。
6)コルセット
現在のコルセットは窮屈ですぐにずり上がる。作りなおしなどはガンセンターで出来ない。SD病院に依頼してみる
7)家族としてやること
訪問医療従者を探し依頼する事
在宅介護の体制作り 介護ベッド、手すりなど
介護保険で依頼する事、実務のルーチン化(SOMPOケアーとの連携)
終末期に向けての病院、ホスピスなどを探す事
各種整理など
5/10(土) 18:10自分
「自宅でのケアが難しいようでしたら、ホスピスの利用も積極的に考えてよいかと思います。ご自宅周辺にはホスピスはたくさんあるようです」、とご自宅周辺のホスピス情報を紹介。
・ 6/8(日) 8:20 一郎さん
ご無沙汰していまがその後の優子の状況です 。
5月17日ガンセンター退院後自宅で緩和治療中です。みらい在宅医療から24時間帯体制でDr派遣、あるいは介護保険で看護師、リハビリをしていただいています 。介護保険は要介護4となりました。
調子がいい日はフラット型の車椅子で近くのデパート行ったり、杖をついて家の周りをすこしあるいたりできるのですが、ここ3日ほど急に食欲が落ちてきました。健康な時10とすると、入院中6~8、自宅の戻った時5~6、今は1~2の感覚です。
以前は食後に吐き気、ムカムカ感、痛みが強かったのですが食道炎薬、オキノームで調整できています。昨日からみぞおち部に強烈な痛みがあり、少しでも動く、さわるとみぞおち部に錐が刺さるような激痛がありました 。意識、記憶はしっかりしています。
段々と私だけでは手に負えなくなりました、意識と、そこ、そこの体力があるだけにホスピス入院をすすめるのがつらいです
・7/12(土) 14:05 一郎さん
家内は7月9日からファミリーホスピス港南台ハウスに入所しました。放射線照射の効果が今頃効いているのか、あまり痛がりません 。
足の浮腫みがひどくリンパ液が染み出しています 。今後は段々とみとりに近づくのでしょうが、安らかであつてと願っています
14日には堀江、斎藤さんらが来てくれます。
7/17(木) 6:41 一郎さん
ホスピスに入所してから1週間が経ちましたが、まだ慣れていないようですが、 薬を変えるなどして、少しは落ち着いて きているようです。ただ足の浮腫みが太もも、臀部と広がり、すねぶからはリンパ液が僅かですが染み出しており、感染防止でクリーム、カバーで覆っています。手など上半身は正常です?
医者は可能性の一つとしてリンパ節にも転移があり? 液の流れを阻害している事も考えられると言っています 。2日前から利尿剤を飲み様子を見ています
腰の痛みが無いのが救いです。放射線照射の効果?
凡血会の皆さんからはお見舞いの葉書や電話をいただいており、感謝しています
・7/22(火)19:27 HS氏メール<優子さんの様子>
7月16日にSMさんと女子大同期の方と見舞いました。写真の通り、優子さんは元気でした。事前に調整していたNZ恵子さんとLineのビデオ通話をしました。
恵子「優子姐さん 白髪が少ないね」「私はもう・・・・・」、優子さんも声量のある声で4-5分の楽しい会話。
皆さん 優子さんは12時食事、14時お風呂なので、SMSで連絡しての通話がお勧めです。
・ 7/26(土) 14:30 一郎さん
優子が1時間程前に息を引き取りました。
安らかでした 一郎
以上
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